ハワイで自身の楽曲も製作する

ピアニスト Chiyo Flynnさん

Cheer up! English×Dear B,

女性達がハワイを目指す理由

「女性達がハワイを目指す理由」は、Cheer up! EnglishとDear B,がコラボレーションした、常夏の楽園ハワイに暮らす魅力的な女性達を紹介する連載。 Cheer up! Englishでは、ハワイへの移住や現地での英語学習、Dear B,ではライフスタイルやハワイに惹かれる理由について旅ジャーナリストKANAが伺っていきます。第2回目はハワイでピアニストとして活躍し、自身のピアノスタジオも運営するChiyo Flynnさんです。

プロフィール

CHIYO FLYNN/チヨ・フリン

北海道室蘭市出身。北海道教育大学特設音楽科卒業。1990年よりハワイ在住。ハワイ大学大学院ピアノ・パフォーマンス科卒業。 "CHIYO FLYNN PIANO STUDIO"をホノルルに設立。国際色豊かな生徒たちを教える日々。また、東日本大震災後いくつかのチャリティー・ライブを主催/演奏する他、毎月生徒やゲスト・ミュージシャンとともに、クアキニ病院でのボランティア・コンサートを続けながら、ウクレレとピアノのコラボなど含む癒し系のCDを4枚リリースしている。

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ブログ「ハワイで暮らす日々 by CHIYO」はこちら

» http://ameblo.jp/chiyo-loveandmusic/

 

 

━まず、簡単なプロフィールと経歴を教えてください。 

 

北海道出身で、札幌の4年制大学のピアノ科を卒業し、その後4年間地元室蘭でヤマハのピアノ講師をしていました。ハワイに移住したのは1990年。初めはハワイ大学付属の語学研修プログラム「NICE」と「HELP」を受講し、その後ハワイ大学の大学院でピアノパフォーマンス科に在籍し、更にピアノを学びました。 その間国際結婚をすることになり、アメリカに永住することに。学校を卒業した後はすぐに「Chiyo Flynn ピアノスタジオ」を設立し、現在もローカルの子供たちを中心にピアノのレッスンを行っています。 同時に、10年ほど前から作曲・アレンジにも力を入れており、今まで4枚のCDをリリースしています。 1枚目は東京のプロデューサーが制作してくださったのですが、その後は全て自分自身でプロデュースをし、ハワイで制作しました。 2枚目はウクレレ・ミュージシャンであるブルース・シマブクロと私のピアノのコラボ。3枚目はやはりローカルのミュージシャン3人とコラボし、4枚目はピアノソロで、リリウオカラニ女王の遺した曲をアレンジしたピアノ曲集です。 あとはボランティアで、毎月クアキニ病院で私と生徒達、そしてゲスト・ミュージシャンを迎えて、1時間の慰問コンサートをしています。先日100回目を迎えました。これは私のライフワークですね。患者さん達が喜んでくださるのでやりがいがあり、生徒達にとっても練習の励みにもになっているので、これからも続けていきたいです。

 

 

━ハワイに移住して生活環境がどのように変わりましたか?

 

私はそこまで大きな環境の変化を感じなかったんです。北海道とハワイってある意味似ているんですよ。自然が多いところもそうだし、東京やNYと比べのんびりしているところも。ハワイには家族や親戚などもいなかったので、最初はさびしい気持ちも多少あったとは思いますが、のびのび自分のやりたいことに没頭できました。 離婚もしましたが、ハワイでは特に誰も気にしないというか。当時から日本に比べて周りに離婚した方も多かったですし、なんとなく肩身が狭い思いをするようなこともなかったです。

 

 

━移住して大変だったことはありますか?

 

当初ハワイに来た頃は誰ひとり知り合いがいなかったので、生活上の基本的なことを全て英語でひとりでこなさなくてはいけなく不安もありました。 まず渡米してからYWCAというYMCAの女性限定の施設に一週間住んでいる間に、新聞でアパートを探し電話でアポをとり……などと安定した住居が見つかるまではなんとなく不安でした。無事住居が決まってからは、当時はチェックブックも持っていなかったので、日本から持ってきた貯金をハワイの口座を作って入金し、そこからキャッシュで少しずつ引き出し、不動産屋のオフィスに支払いに行っていました。アパート探し、銀行関係、修理関係など、これらは全て英語でこなさなくてはなりません。当時は日常会話しかできなかったので、1本電話をかけるのにもとても緊張し、なんとかやり抜けていました。でも当時できるだけ人に頼らないで自分でなんとかしようと心がけていましたね。

 

 

━どのように英語を身につけていったのですか?

 

もともと英語を話すのは好きで、学生時代もお金を貯めてはヨーロッパなど海外旅行に出かけていました。ハワイの語学学校にいた時は、周りに日本人の方たちもたくさんいましたが、日本語のテレビやDVDばかりを見たり、日本語しか使わない環境に傾いてしまっている人もいました。私は早く英会話を上達させたかったので、極力日本語を使う環境を避け、ネイティブの友達達と過ごすようにしていましたね。 また、当時大学院のピアノ科には日本人が私ひとりしかいなくて。不安になったりしたこともありましたが、周り皆外国人の中ひとりで頑張っていたら奨学金も貰え、1年間無料で学校に通うこともでき無事卒業できた時は本当にうれしかったです

 

━ハワイ大学付属の語学学校のプログラムはいかがでしたか?

 

当時の話ですが、まず初めに受講したNICEプログラムは会話中心でした。先生がイギリス人の真面目な方で、熱意を持ってしっかり教えてくれたので良かったです。また、ヨーロッパやアジアなどいろんな国の生徒と友達になることができ、世界各国から集まった生徒達と遠足などのアクティビティを楽しんだり、学期の最後にはパーティもあり楽しかったです。 その次に受講したHELPプログラムは、主にハワイ大学に編入するためのプログラムだったので、読み書きが中心でしたね。

 

 

━ハワイと日本とでは仕事の仕方も異なると思います。どんな苦労がありましたか?

 

例えばアルバムを制作するのでも、ハワイで制作するのと日本で制作するのでは仕事のペースが全く異なります。とにかくハワイは、ゆるいと感じることが多いかな。ハワイのアメリカベースの企業と仕事すると、メールの返信も遅いし、留守電を入れておいても折り返してこない、挙句の果てにやっと連絡がとれても「忙しかったのよ~」という言葉ひとつで片づけられてしまうこともしばしば。こちらが連絡を待ち続けて不安な日々を過ごしていても、相手は全く気にしていないんですよね。このようなことは日常茶飯事。怒ってもこちらがストレスを感じるだけなので、気にしないことが大切です。

 

━今後ハワイにアーティストとして移住希望の方へアドバイスをお願いします。

 

自分のやりたいことがはっきりしていることが大切だと思います。リリウオカラニ女王のモットーに、オニバーという言葉があり、これは”ぶれない”という意味なのですが、周りに流されず、自分の目標をしっかり持ちそれに向かって日々頑張ることが大事だと思います。 ハワイは病気の人が静養に来るくらい、たくさんの自然に恵まれている素晴らしい環境。ハワイにいるからこそのアートを生み出していく道を、自分で切り開いていって欲しいと思います。

 

 

 

取材 ・ 編集

旅フォトジャーナリスト KANA

世界各国を転々と住みながら生きる旅フォトジャーナリスト。世界のトップ旅メディアや企業と仕事するなどワールドワイドに活躍。多数のメディアに連載を持ち、ガイドブックやツアーの計画も手掛ける。旅の写真展や講師、企業に写真提供等、フォトグラファーとしても活動。旅ブロガー・インフルエンサーとしても世界を舞台に活躍中。

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