フランク ミュラーは彼自身の哲学
作り手の想いを伝えるのが私の使命

ワールド通商 代表取締役 河合寿也氏インタビュー(後編)

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前回登場 いただいた、「フランク ミュラー」の日本輸入総代理店である「ワールド通商」の代表取締役・河合寿也さん。今回は、河合さんを虜にしたフランク ミュラーとの運命的な出会いや、デザインや機能だけではない時計の魅力について、語って頂いた。

 

――フランスから帰国後、輸入業に就いたのはなぜですか?

 

当時、日本は輸出大国と言われるような時代で、日本の物が海外にあふれていました。そのため、輸出ではなく、ヨーロッパの良いものを日本に輸入する仕事をしたいと思ったんです。文化交流というと大げさですが、日本にないヨーロッパの文化、特にアンティークや時計などを日本に持ってきたいと思っていました。

 

アンティークを好きになったのは、フランス留学をしていた頃にヨーロッパの人々の「物を大切にする文化」に触れたのがきっかけです。ある時、友人宅での食事の席でボロボロの銀食器を出されたことがあったんです。私のそれまでの感覚では、客人にボロボロの食器を出すのは失礼なことでした。しかし、彼らからしてみれば、代々継いでいる特別な食器ですから、むしろ大切な時に使うのです。食器以外にも、祖母が結婚の時に持ってきた家具など、代々受け継がれた物が大切に使われていました。日本は使い捨て社会ですが、ヨーロッパには「良いものを買って長く使う」という文化があり、その感覚がとても素敵だと思いました。ですから、アンティーク時計を輸入する笄兄弟社(当時のFRANCK MULLER GENEVEの日本輸入総代理店)に入ったのです。

 

 

 

――そこで、フランク ミュラー氏と出会ったのですね?

 

はい。ジュネーブで年に1度開かれる『バーゼル・フェア』を訪れた時、フランク ミュラーブランドを立ち上げる前のフランクの時計が新聞に載っていたのですが、それがとてもかっこよく、当時の社長が「あなたの時計は素晴らしい」とフランク宛に手紙を書いたんです。するとフランクは、「次にスイスに来る時に会おう」と返事をくれました。実際に会った時は、時計マニアの同好会みたいにフランクと時計の話で意気投合して、「今度ブランドとして立ち上げるんだけど、日本でも売ってくれないか?」という話になったんです。

 

当初は「フランク ミュラーは時計ではなく作品。時間を見るための道具ではない」という考えで扱っていたので、日本に直営店を1店舗だけ作って販売していました。ですが、あれよあれよという間に「うちでも扱いたい」という問い合わせが増えたんです。当時15人しかいなかった笄兄弟社は対応しきれなくなり、ワールド通商に代理店権を移して98年から新生ワールド通商となり、更にフランク ミュラーを広めていきました。

 

――河合さんから見た、フランク ミュラーの魅力とは?

 

フランク ミュラーは「時計」というよりも、彼自身の「作品であり哲学」なんです。彼は、ただの時計職人ではありません。古いものが好きで、凄く勉強する人です。哲学的に色々なことを考えてひとつの作品を作り上げます。アールデコ調のデザインをするにも、その要素をきちんと理解しているからこそ、デザインとして成り立つのです。本質を知らなければ、ただの奇抜なデザインになってしまうでしょう? しかし、フランクの作るものにはすべて意味があるんですよ。

 

時計以外でもそうです。例えば、彼の自宅に入ると、廊下の床がアールデコになっていたり、階段を上がったステップのところにアールデコの模様が入っていたり、ドアノブさえもアールデコになっています。

 

――本当に素敵な方なのですね。

 

おもしろいエピソードがありますよ。フランクは日本が大好きなのですが、ある時、京都を訪れてお寺で日本庭園の理念を説明してもらいました。翌年、フランクの自宅に行ったら彼が言ったんです。「見ろ、この石の並べ方はお寺の人が言っていた遠近法をマネて作ったんだ」と。他にも、庭の一角に竹林を作るなど、異国の文化を理解して取り入れていました。そんな彼だからこそ、時計作りでも面白いモデルが出てくるんです。例えば、「クレイジーアワーズ」というモデルは、時計は右回りという既成概念を打ち払い、盤面の数字をぐちゃぐちゃに並べています。彼は「世の中、生まれた瞬間は何時何分、死ぬ時も何時何分でご臨終、会社に行く時間は何時、ランチは何時……と、人間はあらゆるシーンで時間に支配されている。その束縛、規制を壊したいんだ」と言っていました。面白いでしょう?

 

私はフランクが名も無い時代から毎月仕入れに行って、日本の現状を話しながら「こんなものを作ろう、これはいい、あれはダメ、こんなことやろう」と話をしていて、もう家族のような感覚なんです。始めた当初は、彼の自宅の裏にある物置小屋で、フランクと時計職人がふたり、パーツ担当がひとり、マーケティングがひとりの計5人しかいませんでした。それが、生産量が増え、10年足らずで1,000人規模の会社になりました。私は、フランク自身の魅力が多くの人に伝わった結果だと思っています。だって、時間を知りたいだけなら、携帯や他の時計だってあるわけですから。

 

だからこそ、お客様に機械式高級腕時計の良さを説明して、数百万円の価値をちゃんと理解した上で身につけてもらいたい。長く使い、それがアンティークになり、代々親が使っていた時計を息子や娘に渡す。そういう気持ちを込めて販売しております。

 

 

河合寿也(かわい・としや)

ワールド通商株式会社 代表取締役。1993年、仏国立Cean大学 仏語科卒業。仏語と共に現代アート・ヨーロッパ経済を学ぶ。ヨーロッパの文化を日本に啓蒙したいと志し、1993年、当時FRANCK MULLER GENEVEの日本輸入総代理店であった笄兄弟社へ入社。1998年、フランク ミュラーの代理権の移行とともにワールド通商へ移籍。現在に至る。


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