旅人・作家 ロバート・ハリスさん(前編)
「社交性さえあれば、世界は旅できた!」

Travelers Interview ! Vol.02
~旅と人間を愛す現代のヒッピー~

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35度を超えるむせ返るような暑さと、突然のゲリラ豪雨。そんな気候に辟易していた僕はとある横浜の駅である男性を待っていた。「お待たせ!待った?」。そこに現れたのは、シチリア島のまぶしい陽光ような満面の笑みをたたえたダンディーな紳士。そのひと言で、僕はすっかり男の世界に引き込まれてしまった。

中学時代に始まった男の旅の歴史。世界十数カ国の放浪のなかで生死の境をさまよったことさえあるという。「それでも旅は楽しい」と嬉々として語る生来の旅人の名は、ロバート・ハリス。間接照明に灯されたレストランの一角で、現代に生きる若者に送る旅のススメ、独自の英語学習術、女性との付き合い方など……。旅を通して人生の酸いも甘いも体験したハリス氏が大いに語る、濃密な一時間が始まった。

撮影/川野裕子 取材・文/山川俊行(編集部)

 

――英国人のクオーターのハリスさんですが、幼いころから英語は話せたんですか?

 

(ハーフの)親父はバイリンガルだったけど、僕ははじめから英語を話せたわけじゃなかったんだ。親父が母親とケンカしたときに出てくるちょっとした英語のフレーズは知ってたけどね。小学校はインターナショナルスクールに通っていたんだけど、そこで初めて英語を話さなくちゃいけなくなってね。学校の授業は全部英語だし、全然わかんなかったの。発音も悪くてね、僕の名前“Robert Harris”だから、“R”が2回出てくるじゃん? ちゃんと“R”の発音ができなくて、いつもクラスメイトに笑われて(笑)。そのころは結構シャイで、口数も多くなかった。まあ、みんなが思うような生まれつきのバイリンガルではないってこと。

 

――語を話せるようになったのはいつ頃ですか?

 

中学校にあがるころにはマスターしてたよ。そのきっかけは、小学校5、6年のときに、女の子

――女の子に積極的ですね! さきほどシャイとおっしゃってましたが、現在のような社交性はいつから身に付いたんですか?

に興味をもつようになってからだね。かわいい女の子と話したいから英語を覚えたんだ(笑)。どういう勉強をしたのかは全然覚えてないけど、気付いたら英語もまあまあ上手くなっていたし、自然とジョークも言えるようになってたよ。

 

 

そうだね、親父がよく外国人の友達を家に呼んでパーティしてたんだよ。だから気がついたら社交的になってたね。40~50人ぐらいの大規模なクリスマスパーティをやるのが年中行事でさ、その会を途中から僕が仕切るようになったんだ。っていうかさせられた(笑)。それで、パーティゲームを仕切るようになってね。そういうことをやっていくなかで人付き合いが楽しくなったんじゃないかな? 遊びながらね。

 

あとは親父の影響かな。親父が話し好きなの。毎週日曜日の朝は必ず家族全員でご飯を食べてたんだけど、そこで親父が一週間に起こったことをみんなに話してくれるんだ。親父は話術に長けてたから、すごく面白かったのね。そういうのを聞きながら、話すことって楽しいなって思ったんだよね。今、僕も話すのが大好きだし。物語を人生から抽出するのが大好きなのね。それは親父からゆずり受けてるんじゃないかな。

 

――なるほど。旅人ハリスさんの社交性はそうやって培われたんですね。初めて旅に出たのはいつですか?

 

高校1年の時に友達ふたりで北海道の摩周湖に行ったのが最初かな。そこで、湖の崖の上から落っこちちゃって(笑)。そんな目にあったのに、ギプスはめて飛行機で帰る時、眼下の北海道を見ながら「旅っておもしろいな……」って思ったくらいだから、よっぽど旅が気に入ったんだろうね。普通懲りるけど、全然そんなことなかったからね。「またやりてぇ」とか思って(笑)。その翌年はひとりでヒッチハイクとバックパックで列島を下っていって鹿児島県の与論島まで行ったんだ。

 

金もなかったから、安いユースホテルに泊まってね。そのころになると図々しくなって、人懐っこくなって、話しも好きになって、友達作ることが何の苦にならなくなってた。どんどん外交的になっていった自分がいたんだ。ニコニコしてると人って寄ってくるんだよ。僕の場合、悲しいかな、おっさんとおばさんが多かったけど(笑)。

 

――心をオープンにすることが大事なんですね。

 

そうだね。あとね、自分の意外な一面にも気付かされたよ。スウェーデンを旅した時、現地の人に冷たくされてさ。僕すっごく寂しがり屋なんだなって、それでわかったの。あと、仲間と中東のアフガニスタンを旅してる時は、いつの間にかリーダーシップを発揮してる自分がいてね。僕が18歳で1番若かったのに、30代ぐらいの旅慣れたやつが後に付いてくるだよね。そういうことって旅しないとわかんない発見じゃない?

 

――旅をしないと見えてこないものってありますよね。そうした旅のなかでの印象的な出会いはありましたか?

 

色々あるけど……。僕は大学卒業後に鬱状態に陥ってたことがあって、そんな心の状態を救ってくれた、バリ島のウブドって村のチャンデリーおばさんとの出会いかな。あるヒッピーの男に「バリ島は休養するのにピッタリな場所だ」「ガムラン(バリの伝統音楽)が盛んなウブドっていうキレイな村がある」って聞いて、それでバリに向かったんだ。その村にある民宿の女将のチャンデリーおばさんって人に出会って、彼女のほがらかな人柄に触れているうちに、心の状態が落ち着いていったんだ。今でもチャンデリーおばさん一家とは仲が良いよ。子供はおっさんになってるけど(笑)。彼女は僕のバリ島のお母さんなんだ。

 

――バリ島が第2の故郷なんですね。

 

そうだね。あと、その頃から人間ってたくさんの人生を構築しながら生きているんだなってすごく思うようになったよ。1カ所にいるとさ、1個の人生じゃん? 旅するといろんな人生を生きられるんだよね、人間って。それで、日本に帰ってきてから旅を思い出しながら紀行文を書くと、もう1回頭の中で旅をするんだよね。旅をしてる時にほんの一瞬のうちに“何か”を感じるときってあるんだけど、人間ってスルーしがちじゃない? それで、帰国して少しゆったりとした気持ちで、「僕は何を感じてたのかな」って思うと、もう少しディープに「あの時は望郷の念を感じてたのか」とか、ピンポイントで掘り下げることができると思うんだ、リアルな追体験として。もっと深い自分の心理状態を、奥底から見つめ直すことができるんじゃないかと思って。

 

――リアルな追体験をしながら、いろんな人の優しさに触れることができる旅っていいですね。

 

後編では、内向的な日本人が身につけるべき海外でのコミュニケーション術、内にこもってばかりで外へ飛び出すことが少なくなった現代の若者へ送る旅のススメなど、前編以上に内容厚くお届けする。

 

■ プロフィール
Robert Harris(ロバート・ハリス)
横浜生まれ。高校時代から国内をヒッチハイクで周り、卒業後は北欧からインドまで半年間の旅をする。上智大学卒業後、東南アジアを放浪。バリ島に1年間滞在後、オーストラリアにわたり延べ16年滞在。シドニーで書店兼画廊を経営。映画、テレビの制作スタッフとしても活躍。日本に帰国後、1992年よりJ-WAVEのナビゲーターに。また、作家としても活躍。著書に『エグザイルス』『人生の100のリスト』(共に講談社プラスアルファ文庫)、『エグザイルス・ギャング』(幻冬舎アウトロー文庫)、 『旅に出ろ! ヴァガボンディング・ブック』(ヴィレッジブックス)、『幻の島を求めて』『モロッコ オンザロード』『知られざるイタリアへ』『英語なんて これだけ聴けて これだけ言えれば 世界はどこでも旅できる』『やってみたら 英語なんて これだけ聴けて これだけ言えれば 世界はどこでも旅できた』(すべて東京書籍)、『WOMEN ぼくが愛した女性たちの話』(晶文社)などがある。
 
 
 
▲『英語なんて これだけ聴けて これだけ言えれば 世界はどこでも旅できる』
http://www.tokyo-shoseki.co.jp/books/80465/
▲『やってみたら 英語なんて これだけ聴けて これだけ言えれば 世界はどこでも旅できた』
http://www.tokyo-shoseki.co.jp/books/80578/

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