キューバ革命の父フィデル・カストロは
キューバに何をしたのか?
フィデル・カストロといえばチ・ゲバラと共にキューバを革命に導き、2008年まで国家の最高指導者として君臨したキューバ社会主義の父として知られるけど、社会主義国であることや去年国交が回復されるまでアメリカの目の敵だったこともあって独裁的なイメージを抱いている人も多いんじゃないかしら? 実際フィデル・カストロとはどういった人物なのか、キューバに何をしたのか見ていこう!
カストロの生い立ち
カストロは1926年にキューバ東部のオリエンテ州で誕生し、6人兄弟のうち3男坊だったわ。父親がスペイン移民で砂糖プランテーションのオーナーだったため、比較的裕福な暮らしをしていたの。キューバが貧困な状況だった中、恵まれた環境で育ったカストロはイエズス会の寄宿学校で教育を受け、幼い頃から知的にも恵まれて野球やバスケなどのスポーツや学業に専念したものの、どこかトラブルメーカーの気質もあったとのことよ。
青年期のカストロ
ハバナ大学の法学部に入学後、キューバのナショナリズム、反帝国主義、社会主義の勉強に没頭し弁護士資格を取得。当時の彼の最も顕著な特徴は、反米的信念を持っていたことよ。学生時代から革命政治に関与し、ドミニカ共和国独裁者の転覆やコロンビアでの都市暴動に参加したの。カストロは1951年にキューバ衆院議席に立候補したものの、カジノを経営していたバティスタ将軍が選挙前に無血クーデーターで権力を握ってしまったの。バティスタはもともと親米主義で、私利私欲を満たすためにキューバの農園や工業にアメリカ資本が流れ込み、キューバ人は疲弊していったわけ。
チェ・ゲバラとの出会いと革命
アメリカに奴隷のように扱われ搾取されるキューバを守るために、バティスタ独裁政権を倒そうと革命を意識したカストロ。しかし、革命を恐れたバティスタがカストロをメキシコに追放したんだ。追放先のメキシコでアルゼンチン出身の医師チェ・ゲバラと出会い、ゲバラはNo.2としてともにキューバ革命を企てていったの。キューバ国民に反バティスタ感情を煽り、カストロの部隊とゲバラの部隊の2つに分かれてキューバに進軍し、1959年にバティスタ政権を倒し、いわゆるキューバ革命は成功したわ。
革命後のキューバ
革命後は、国民が生活に困らないように、企業の国有化、食料の配給制など社会主義を徹底していったわ。外交的には、アメリカがバティスタ政権を支持していたため、アメリカとキューバ間では貿易禁止令や渡航禁止令が敷かれたの。基本的自由を奪われたと感じた中流階級~上流階級のキューバ国民はアメリカやメキシコに亡命する人が何万人にのぼったわ。一方、チェ・ゲバラが識字プログラムに関与したおかげで革命後のキューバはラテンアメリカで最も識字率が高くなり、教育費や医療費も無料になり、医師や教師を沢山輩出したり、乳幼児死亡率の低下をもたらすという良い面もあったわ。しかし、外貨が入ってこないという状況では、キューバに繁栄がもたらされることがなかったの。アメリカは何度もキューバ政権を崩壊させようとしていて、2015年についに、オバマ元大統領がキューバを訪れ両国の国交正常化が実現して貿易や旅行の制限が緩和することに!これからはまた違った新たなキューバの時代が花咲くでしょうね。
カストロはキューバに何をもたらしたのか
カストロが実行した社会主義は国民を拘束し自由を奪ったと思いがち。ただ、カストロは、搾取・差別されていた米国支配からキューバ国民を守ったヒーロー。国民の意識を「自身の利益よりも他者の利益のために」という思いのもと、このような社会主義体制にならざるをえなかったと思う。社会主義だったからこそ、音楽、葉巻、モヒートなどユニークな自国の文化が栄えたし、社会主義だからこそ国民は最低限の生活には困らないので、陽気で明るい国民も多い。キューバに何をもたらしたかを一言で言うと、経済的には豊かにはならなかったが、キューバ人としてのプライドを守ったこと。
shares