ダンサー・俳優 生島翔さん
「大切なのは、英語で何をしたいか」
Cheer up! Interview!
〜英語を学んだ先輩からのメッセージ〜 Vol.05
撮影/高嶋佳代 取材・文/山川俊行(編集部)
俳優、ダンサーとして、舞台、テレビドラマ、映画など幅広いジャンルで活躍する生島翔さんにインタビュー。現在、TOEIC®スコア975点を保有する生島さんは、中学校卒業後、ダンス留学のために単身渡米。2010年の帰国まで、アメリカ、ヨーロッパでプロのダンサーとして活動する傍ら、コミュニケーションのツールとして必要な、英語の学習に勤しんだ。彼は、どのような過程を経て今の英語力を手に入れたのか、その軌跡を辿った。
――中学卒業後にダンス留学のため単身渡米した生島さん。そのきっかけとは?
親父(アナウンサー・生島ヒロシさん)の影響が大きいですね。親父自身も大学生の時に渡米していて、その経験から将来のためにも英語の修得は大切だと考えていたみたいで。いつか兄(俳優・生島勇輝さん)も僕も留学させたいと考えている、という話は小さい頃から聞いていました。僕としてはまだまだ先のことだと思っていたんですけど、中学生の時、兄貴が出席するはずだった学生向けの留学説明会に、寝坊した兄貴の代わりに僕が行かされることになってしまって。そこで、カウンセラーに漠然と進路のことを相談したところ、カリフォルニアのオレンジカウンティにある芸術系の高校を紹介されたんです。軽い気持ちで学校のサイトを調べてみたら、自由な校風に魅せられて、すぐにメールで面接の応募をしちゃいましたね(笑)。
――ずいぶんと思い切りのいい! とはいえ、日本とは全く勝手の違う異国での学校生活、いろいろと苦労があったのでは?
僕が入ったのはダンス科だったのですが、1年目は、ダンスもできない、英語も喋れないという状態だったので、その両立がめちゃくちゃツラかったです。当時通っていた学校が寄宿舎制で、同じダンス科の同級生とルームシェアをしていたんですけど、その寄宿舎は22時消灯なので、消灯後は部屋の明かりを絶対消さなきゃいけないんです。少しでも明かりが漏れると、その部屋の住人にペナルティが科せられて、それが3つ貯まると、週末に監督官の先生との一対一の勉強会に参加しなきゃいけなかったんですよ。なので、ルームメイトに迷惑が掛からないようにって、ずっと電気が着いていたトイレに籠って夜中まで勉強していましたね。もちろんダンスの勉強もあったので、1日3、4時間睡眠がザラ。でも、絶対に日本には帰らないと心に決めていたので、何が何でもやり抜こうと自分に言い聞かせて頑張っていました。そうして1年目は、あっという間に過ぎましたね。
――普通の高校生の生活スタイルではありませんね……。具体的には、どうやって英語を身につけていったのですか?
うちの高校は他の学校とカリキュラムが違って、ダンスヒストリーやアナトミーなどのアカデミックなアート系の授業も開講していました。やっぱり、自分のやりたい分野を専攻できるので、自然と興味が湧いて勉強はやりやすかったです。演劇の勉強のためにと思って選択した戯曲のコースでは、このフレーズおもしろいなとか、こんな表現もあるんだとか、こんな単語知らなかったとか、いろんな発見が学習の刺激になっていました。2年目になると、ネイティブと同じクラスに混ざって、彼らと同じ内容の授業を受けることができるようになっていました。その時はじめて、やっとネイティブと対等になれたような気がして、自分の英語に自信がもてました。高校卒業時には、日常会話に苦労しない程度は身につけていましたね。
――まさに“好きこそ物の上手なれ”ですね! 2010年の帰国後に受験したTOEIC®テストでは、975点。何か特別な勉強はされたんですか?
それが全く(笑)。帰国後、親父に「今からでも遅くないから就職してくれ」「まずはお前の英語力を示してくれ」って言われて渋々受けました。四択形式のテストだということぐらいしか知らない状態でしたけどね。
ただ、僕のTOEIC®975点も、ホントの英語力だとは思っていません。ましてや、それで自分の英語力が証明されるものだとも。やっぱり、その英語力で何をしたいかが大切。友達と話したいとか、好きな映画を観たいとか、好きな作家の本を読みたいとか、自分の好奇心のために英語を使えて、はじめてホントの英語力になると思います。
僕にとっての英語はコミュニケーションツールのひとつです。友達とのコミュニケーションのなかで、テキストで覚えた単語やフレーズをアウトプットするのが楽しかったから、自然と上達も早まったのかもしれないですね。やっぱり英語は触れてナンボ。そうやって英語が自分の世界を広げるツールになり得たのは、表現者として、いち人間として、ホントに良かったと思いますね。
――来月から舞台公演を控えていますが、今後どのようなお仕事に挑戦してみたいですか?
昔は表現者一本でやっていこうと思っていたんですが、イベントのオーガナイズや、海外と日本の間を取り持つ仕事は積極的に取り組んでいきたいと思っています。僕の場合、アメリカとヨーロッパのダンス界に知り合いが多いので、日本とのつなぎ役になれればなと。そんな仕事がもらえるのも、英語学習と海外生活の賜物だと思いますね。
■生島翔さんの英語のキラキラフレーズ
「Love it or Leave it」
(愛せよ、でなければ放っとけ)
▶ヨーロッパのダンスカンパニーで働いていた時の友人から教わった言葉で、これが僕の生き方を表していますね。好きだったらとことんやれば良いし、嫌いなら放っとけばいい、周りに何て言われようと、ね。
生島翔(いくしま・しょう)
1985年東京都生まれ。15歳でダンスを勉強するために単身渡米。ニューヨーク大学ティッシュ校ダンス科を3年で卒業。大学卒業後、『Palissimo』や『Brian Brooks Moving Company』などのカンパニーで踊る傍ら、振付家としても活動を始める。この頃、ジョン・ストラスバーグのもと演劇を学び始める。NYでプロのダンサーとして6年間過ごした後、ドイツのカッセル州立劇場とダンサー契約、ヨーロッパに拠点を移す。2009年度のインポルスダンス、ダンスウェブスカラーシップに選出。2010年に帰国、ダンス、TV、ラジオ番組など様々な分野に活動の幅を広げる。
●オフィシャルHP http://www.ikushimakikaku.co.jp/actor/syo.html
● オフィシャルブログ http://ameblo.jp/shoikushima/
▲出演舞台『MOTHER 〜特攻の母 鳥濱トメ物語〜』(2013年12月11日(水)〜12月15日(日)@新国立劇場/小劇場)