英語力で人生を切り拓く!Vol.2
外資系ファンド代表・安達保氏(前編)

Cheer up! Interview
~企業人・エグゼクティブ編~

英語力を身につけたことによって、人生の充実を果たした人々を直撃するインタビュー連載。第2回目は、アメリカの大手プライベートエクィティファンド(企業投資、事業再生)『カーライル・グループ』の日本代表を務めるほか、非常勤取締役として数々の企業に協力する安達保氏をゲストにお迎えしました。
留学やインターン経験などで英語力を培った安達さんは、海外のビジネスパーソンと自在にコミュニケートし、輸入業やコンサルタント業、ベンチャー事業の立ち上げなどスケールの大きなビジネスで成功されています。
前編ではそんなご自身のキャリアや、ビジネスに欠かせない英語力を身につけた方法について、グローバルに働こうと考えたきっかけなどをお伺いしました。

 

――ご自身のキャリアについて教えてください。

 

三菱商事に入社したのが1977年で、最初は機械グループの営業をしていました。入社4年目には会社の留学制度を利用してマサチューセッツ工科大学で2年間学び、MBA(経営学修士)を取りました。帰国したのは1984年です。
そこから、三菱商事の出向スタッフとして電話会社のDDI(現在のKDDI)の立ち上げに携わりました。私が出向してから3年でサービスを開始することが出来ましたし、立ち上げ当初は社員数十人のベンチャー企業でしたが、3年で一千数百人の社員を抱える企業に成長しました。
DDIでは、事業立ち上げのやり甲斐や、おもしろさを経験することができましたね。

  DDIを軌道にのせた後は三菱商事に戻らずに、マッキンゼー・アンド・カンパニーに転職しました。マッキンゼーでは10年働き1997年に退職した後は、GEキャピタルというグローバルな金融機関に転職して、日本企業買収の責任者を経験しました。当時は日本の金融機関が非常に揺れていた時代で、有名な銀行や生命保険会社が潰れたりしていました。そんな状況の中、僕もいくつかの企業の買収を担当して、GEは従業員が2万人くらいの大企業になりました。その後は、GEが買収した自動車リース専門会社の社長に就任し、4年と少し働きました。現在のカーライル・ジャパンから声がかかって日本代表になったのは、2003年です。当時の従業員は10数名でしたので、実質的に私が入ってから日本での事業がスタートした状況ですね。

 

――それらのお仕事で英語力は必要でしたか?

 

当然必要でした。僕が今まで働いてきた企業はクライアントが海外メーカーのこともありましたし、外国人と一緒にチームを作ることもありましたから。
どの企業でも“英語は出来て当然”という雰囲気でしたね。
例えば、三菱商事では輸入事業を任されていたので、海外メーカーを訪問して交渉したりコミュニケーションをとったりと、ずいぶん英語を使いましたよ。

 

――英語力がなかったらキャリアの道も拓けなかった、ということですね。

 

そうですね。
僕は幼い頃から英語を勉強する環境にいたのですが、それがラッキーでした。
親が「自分の子供には英語を自由に話せる人になってもらいたい」という考えだったので、初めて英語を勉強したのが2、3歳でしたから。当時、僕の家の近くにアメリカ人の女性が住んでいて、その女性の家で週に1回ほど英会話を教えてもらっていました。ただ、その頃に覚えた英語は全く覚えていません。というのも、その後は普通の日本の小学校に入って英語を勉強する機会がなかったので。僕が英語を忘れてしまうと考えた親がキッズ英語スクールに通わせてくれましたが、「あなたは発音が下手になったわね、アメリカ人の家に通っていた頃は発音が良かったのに」と言われてしまいました。

僕が自分の意志で英語を真面目に勉強し始めたのは栄光学園というミッションスクール(中学校)に入ってからです。英語教育にすごく力を入れている学校で外国人の先生が多く、生の英語に触れることができました。
当時は英語の勉強を頑張りましたよ。自分でいうのも何ですが、英語の読み書きのテストは学園で1番の成績でしたから。

 

――すごいですね!どんな勉強をしていましたか?

 

教科書に基づいた学習をコツコツしていました。後は、英語の文章をすごく覚えさせられました。長文の英語を覚えて発表するとかですね。
また、英語が聞けるようになったなと感じたのはNHKの『ラジオ英語会話』を聞いてからです。毎朝15分くらい聞き続けたことが、かなりプラスになりました。

そんな勉強を続けて自分では「英語が出来る」と思っていましたが、高校3年生の時、交換留学生制度を利用してアメリカ留学をしたら、周りのアメリカ人が何を言っているのか全く分からなくて。「僕の英語力は全然ダメだった」と痛感しました。
ペンシルベニア州のバトラーという田舎町にある高校に留学したのですが、最初の3ヵ月は授業を受けても何も分からずポカーンとしていました。それでもその高校には日本人がいなかったので、留学期間の1年間はほとんど日本語を話さずに過ごして、帰国する頃には大分英語ができるようになりました。

英語を身につける上ですごく良かったと思うのは、テニスを通じて英語でコミュニケーションできたことです。僕はテニスが得意だったので、留学先の学生から、「あいつは英語を話せないけど、テニスができるから」とテニスチームに誘ってもらえましたし、大会で活躍することができました。
「英語を勉強して話せるようにならなければ」というのは大変なプレッシャーで苦しかったですが、テニスを通じて仲間ができたのがかなりの救いでしたね。コミュニケーションできないと英語力も身につきませんし、留学生活をエンジョイすることも出来ませんから。

 また、僕が留学で感じたのは「アメリカは懐が広い国だ」ということです。僕の学費はバトラーの子供たちがボランティアをして集めて出してくれましたし、ホームステイの費用も受け入れ先の家庭が負担してくれましたから。
バトラーには当時、日本人の留学生がいなかったので、現地の人は僕を通じて日本のことを知ろうとしてくれ、非常に温かく受け入れてもらえたと感じました。そういう経験があるとアメリカのファンになるというか、いい印象をもつことができますよね。そしてお世話になったアメリカに対して何か恩返しをするじゃないですが、アメリカの企業のために働いてみようと思えるようになりました。

 

――その頃からグローバルな仕事をしようと考えるようになったのですか?

 

「国内にとどまらない仕事をしたい」という気持ちは、その頃から抱くようになりました。その後、東京大学の工学部に進学して、大学4年生のときにIAESTE(イアエステ:工学系の学生向けインターンプログラム)を利用して大学4年生の夏休みにスウェーデンの鉄鋼メーカーで働き、そこでまた英語を話す機会に恵まれました。
そして大学を卒業する時、工学系のメーカーに入ろうかと迷っていたのですがインターンの経験を思い出して「メーカーに入って研究所でずっと働くのは性に合ってないな……」と改めて感じて、商社の三菱商事に就職しました。

三菱商事に入社して4年目にアメリカのビジネススクールに留学したのも、グローバルビジネスをしたかったからです。また、将来は経営者になりたいとも思っていたのでMBA(経営学修士)をとり、マネジメントやファイナンス、マーケティングの勉強をちゃんとやっておきたいと考えました。
三菱商事では年に平均で5人くらい社員を選抜して留学させてくれるのですが、僕はその制度を利用して留学しましたよ。
だから僕は、これまで人のフンドシ(学校や会社の制度)を使いまくって英語を学んできたと(笑)。そんな歴史があるわけです。

 

英語を学ぶチャンスを確実に掴み、英語力を身につけてきた安達さん。 後編では、英語力が活かせる企業でどう働き、どんなスキルを身につけたのか、グローバルに活躍するために必要な能力についてお伺いします。

 

●プロフィール 安達保氏

米系大手プライベートエクィティファンド『カーライル・グループ』マネージングディレクター兼日本共同代表。
東京大学工学部卒。マサチューセッツ工科大学スローン・スクールにてMBA取得。三菱商事株式会社に10年間勤務。在籍中、1984年から1987年の3年間はDDI(第二電電、現KDDI)に出向。同社の立ち上げと長距離電話サービスの開始に貢献。1988年にマッキンゼー・アンド・カンパニーに入社。1995年には同社パートナーに就任し、主に製造業、ハイテク企業の製品市場戦略、企業ビジョンの策定に従事。1997年にGEキャピタル・ジャパンに移籍。東邦生命、日本リースの買収等を担当した後、日本リースオート(現日本GE株式会社GEキャピタル)代表取締役社長に就任。2003年にカーライル・グループに参画、日本代表に就任。同社の日本における事業拡大を主導。他、株式会社ベネッセホールディングス及びヤマハ発動機株式会社の非常勤取締役。2009年1月から2011年6月まで日本プライベート・エクイティ協会の会長を務める。現在副会長。

 

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取材・文/甲斐真理愛(編集部)


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