外国語学習と外国暮らしが教えてくれるもの【33】
アクセントの魅力2
前回から英語や日本語のさまざまなアクセントについて書いています。きれいな発音とはどんな発音のことなのでしょうか。ネイティブであるとは、どういうことでしょうか。今回は、日本の中の方言についても書きたいと思います。
ネイティブとは無頓着であること
前回の記事で、大学のアナウンス研究会で「ご両親は東京の人じゃないでしょ。」と言われてびっくりした話をしました。私は東京生まれですが、父は九州、母は信州の出身です。私はどちらのお国言葉もそれなりに話すことができましたが、普段は家でも「標準語」で、私は完璧な「標準語」を話しているつもりでした。
アナウンス研究会では、東京生まれの人間は自分のアクセントに無頓着で、地方出身者は熱心にアクセント辞典を引いて「正しい」アクセントを調べていました。
おそらく英語の「ネイティブ」も自分のアクセントには無頓着だと思います。英語を外国語として学ぶ者は発音記号などを参考にするわけですが。
専門家以外のネイティブが無頓着であるというのは、発音に限ったことではないでしょう。ネイティブは文法を意識することなくその言語を覚えたわけですから、いちいち「文法的にこうだからこう言うのが正しい」などと考えているはずがありません。
東北弁と沖縄口は初級です
私は東北弁を習ったことがあります。もちろんネイティブに教わりました。アナウンス研究会に東北出身の人がいたのです。
きっかけは宮沢賢治の詩でした。別に東北出身の詩人の作品だから東北弁で読まなければならないというわけではありません。ただ、賢治の頭の中に最初にその詩が生まれたとき、それはどんな響きだったのだろうと興味をそそられたのです。
そのとき私は東北弁の「先生」におもしろい話を聞きました。
「東北出身の有名な女優さんで、賢治の詩をCDに吹き込んでいる人もいるんだけど、あれはぼくらには東北弁に聞こえないんだよ。」「え、なぜ?」「きれいすぎるんだな。」
この「きれいすぎる」という感覚は、教材やテストの英語音声を「現実の英語ではない」と言う感覚と同じではないでしょうか。
俳優やアナウンサーのしゃべりは清潔で無色透明ですが、街で聞かれる言葉はそうではありません。きれいすぎる言葉は、時にリアリティに欠けているように感じられます。
ネイティブのように話す必要があるかどうか
私はやはり文学的な興味から沖縄口もかじったことがあるのですが、ネイティブと同じように話せるようになりたいと思ったわけではありません。東京生まれの私が、今更沖縄生まれや東北生まれになれるはずはありません。
ものすごく努力をすれば、おそらくネイティブと間違えられるくらいにはなれるでしょうが、別にそうなりたいとも思わないのです。
私の東北弁や沖縄口は、きっと永遠に「訛って」いるでしょう。
異なる日本語を「学ぶ」楽しさ
英検のように、方言検定があるとおもしろいかもしれません。東北弁3級とか沖縄口1級という認定を出すのです。上級になるとその土地での就職や移住に有利だとか、旅行の時に特典などがあるとモチベーションも上がりますね。
楽しそうだと思いませんか?
ライタープロフィール●外国語人 | |
英語、フランス語、外国語としての日本語を教えつつ、語学力に留まらない読む力、書く力を養成することが必要であると痛感。ヨーロッパで15年以上暮らし、とりあえず帰国。この世界の様々な地域で日常の中に潜む文化の違いが面白くて仕方がない。子育て、犬育て中。TOEIC®985点 |
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